こんにちは、末富晶です。
今回から私もブログの記事を書かせていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。
それまでの日常がずっと続いていくものと思っていたのに、ある時不意に変化が訪れて、すべてを覆してしまう。
誰の人生にも、きっとそうした大きな転機と呼べる時期があり、中には昨日までの生活とは何もかも環境が変わってしまった体験をした方も、少なからずおられることでしょう。
想定外の出来事はいついかなる時にも起こりうると、これまでの経験上、知っているつもりだったけれど。
まさかこうも突然に、それも世界中のほとんど誰もが関係するような大変な事態に立ち会うことになろうとは。想像もしなかったし、もちろん今現在、初めてそれを体験している真っ最中…というのが、私を含めた多くの人の置かれている状況なのではないかと思います。
新型コロナウイルスの影響がこうまで身に迫って感じられるようになってから、まだそう長い月日は経っていないはずなのに、すでにそれ以前のことが別世界のようにも思え、去年の桜の季節がまるでずっと遠い過去のようです。
色々と書き込まれていた今月のスケジュールから一つまた一つと予定が消え、やがては何もなくなったのを見て、自分の書いた本「不登校でも大丈夫」の中に「真っ白のスケジュール」という題をつけたページがあったことが思い出されました。
そういえば不登校児となったごく初期の頃、私の毎日は、こんな風になんの予定もなく真っ白の日々だったのだと。
少しの間、時間が逆戻りしてあの頃に立ち返ったような感覚となったのです。
もちろん今とは状況が何もかも違い、他の方々が日常を営んでくださっていたおかげで、私は衣食住をはじめとした生活の不安をひとまずは抱く必要がなかったけれど。
学校の授業や友だちと過ごす放課後など、これまであった当たり前の時間が一遍になくなった時期の焦燥感を思い返すと、あの時のことは小さな私にとってまさに世界が覆る体験だったのだと感じられました。
スケジュールは真っ白になったのに、頭の方は色んな人からの言葉や先々への不安が渦巻いて、一日中部屋にいるだけでも疲れ切ってしまうような毎日。
今のように一般の人が自由にインターネットで情報を探す時代ではなかったけれど、もしそれができたら、玉石混交の言葉の中に溺れ、もしかしたらもっともっと不安を色濃くしていたかもしれません。
― 今日というその確かなものを船として、白い海に漕ぎ出そうと決めたのは、さていつの日にどんなきっかけでだったのか。 ―
本の中では当時のことをそんな風に書いていますが、どれだけかの長い悩みの日々の後、私が助けられたのは他のどんな人の言葉や情報でもなく、自分自身の内側から響いてくる声と、目の前に見えている実際の風景でした。
私たちの現実にどんなことが起きるのか、事前に決めることはできないけれど。
起きたことをどう捉えるかは、誰もが決めることを許されている。
そうはっきりと知れた時の静かな感覚は、改めて今この時に思い返し、先に携えていく必要があるものと感じられるのです。
この星の上では、多くの人と共有する時代の共通認識としての「世界」とともに、一人ひとり固有の心の<世界>にもまた、それぞれに生きていて。現実に起こる出来事や、目の前にある風景を、いつもその心の<世界>の窓枠を通して見ている。
同じ現実に直面しても人によって捉え方が変わってくるのは、その窓枠の形や、嵌められたガラスの色彩や透明感、歪みの多少によって、見えるものの色や形が全く違ってくるからなのでしょう。
イデアサイコロジーが投げかけてくれるメッセージは、現実のそうしたもう一方の姿、各々の窓を通して感じている<世界>の見え方は、それに向き合おうとするかぎり確実によりよいものへ変えていくことができるよと知らせてくれていて、こんな時はなおさらに、そのことが心強く感じられます。
目の前に起こることを、他でもない自分自身の感覚で「どう捉えるか」。
それが決まれば、その先に何を為していくのかという現実の動きもまた、自ずと決まっていく。
今やこの先がどんなに嵐であっても、結局はそうして自分自身の原点に戻ることが、まず何よりも大切だと感じています。
大波に揺らがぬ心の船を持つことは並大抵のことではないけれど「大きく揺らいだ時はここに戻るのだ」という自分の心の中心点を知っていれば、それは窮地に精神的な避難所ともなり、外の世界が荒れる日にたとえ僅かな間でも、自分にとっての凪の時を過ごすこともできる。
世界の空が晴れ渡る日がまだまだ先であるのなら、そのことは想像よりずっとずっと大きな助けとなるかもしれません。
今日、この時という船に乗って。
イデアサイコロジーのしめす地図を手に、自分の中心にしっかりと立ち。
時折、大風に揺らぎながらも、なんとか沈まないように、その度その度、まんなかに戻って。
そうしながら、どこまでも真っ白な先の見えない海原に漕ぎ出していくことができれば、一人ひとりの心に灯された意志に、きっと目の前の「世界」はこたえてくれる。
この激動の体験を、共に越えていくことができますように。