こんにちは。春井星乃です。
先日、シュタイナー研究をされていて、以前からヌーソロジーとイデアサイコロジーも学んでいただいている知人のmeegleさんが、シュタイナーのある本を読んで、
「これはヌーソロジーとイデアサイコロジーのことを言っているのでは?」と感じられたとのことで、その本の一部の画像を送ってくれたんです。
*meegleさんは11月からYouTubeでも「HUElab.」というシュタイナーとヌーソロジーをテーマにしたチャンネルを立ち上げて活動されています。ご興味のある方は、ぜひご覧ください✨
そして、それを読ませていただいたのですが、私も半田さんも
「シュタイナーが、ヌーソロジーとイデアサイコロジーの核心部分をここまでストレートに話しているとは・・・」
とびっくりしたんですね。
そこで、今回は、このシュタイナーの『照応する宇宙(シュタイナーコレクション3)』(2003年,筑摩書房)の「第7構」(1910年3月27日の講演)をみなさんにご紹介しつつ、
ヌーソロジーとイデアサイコロジーではそれをどのように読み解けるのかというお話をしてみたいと思います。
「マクロコスモスへの参入」と「変換人」
さて、このシュタイナーの『照応する宇宙』第7講では、主に「マクロコスモスに至る方法」が話されています。
このシュタイナーの「マクロコスモスへの参入」とは、一般的なスピリチュアル系の用語で言えば、「目覚め」「悟り」「意識進化」「アセンション」などと言われるものに近い概念と言えると思います。
シュタイナーは、まず最初のページで
マクロコスモスへ上昇すると、神智学で言う「元素界」に至ります。
と言っています。
「なんで、目覚めとか悟りが元素と関係してるの?」「神智学ってよく知らないけど、ただのこじつけなんじゃ」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
6月の記事「ヌーソロジーの世界観」でも書かせていただいたように、ヌーソロジーではこのような「目覚め」「意識進化」「悟り」に至った存在のことを「変換人」と呼びます。
ヌーソロジーを学んでいる方にはご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、実は、ヌーソロジーでは、
元素を作っている素粒子が存在するのは人間の意識状態がメインの世界だけであって、「変換人」に至った場合は元素しかない世界になる
と考えています。
これは、ただ直観でこじつけたのではなく、ヌーソロジーが人間の意識と物質の基盤となっていると考えている無意識構造を現在までの科学的知識と照らし合わせ、導き出された結果なんですね。
シュタイナーがヌーソロジーのような詳細な無意識構造を考えていたかは分かりませんが、1910年代のシュタイナーとヌーソロジーの見解が一致するというのは、驚きですよね。
「モノ」の中にいる感覚
また、シュタイナーは2ページ目で、
マクロコスモスに参入すると、物質界の中にいる時とは違い、事物に向き合うのではなく、自分が事物の中にいるように感じます。
物質界では、なんらかの物体を見る時、物体がそこにあり、自分はここにいる、と思います。私たちの自我が、事物と自分とをはっきりと区別しているのです。そして、そうしている限り、私たちは理性的な人間としてこの世を生きています。
ところが元素界では、そのような区別ができなくなります。なぜなら私たちは霊界の諸事象と1つになっているからです。
これは「覚醒すると自分が物の中にいるように感じる」という意味ですが、これも、実は、ヌーソロジーをやっている方にとってはお馴染みのフレーズですよね。
「変換人になると自分がモノの中にいると感じるようになる」というのは、半田さんがTwitterやサロン、レクチャーなどでよく話していることですが、
半田さん自身も、シュタイナーがここまではっきりとこのように言っているということは知らなかったようで、驚いていました😊
この「モノの中にいる感覚」というのも、先ほどの「元素の話」と同様、科学と照らし合わせたヌーソロジーの無意識構造から導き出されたものですので、これがシュタイナーと一致するということにはびっくりさせられます。
自己認識・自己教育の重要性とイデアサイコロジー
次に、シュタイナーは「気質」について述べます。
シュタイナーは人間には、憂鬱質・粘液質・多血質・胆汁質という4つの気質があり、この「気質」は「身体にまで働きかける半ば無意識な特質」だと話しています。
イデアサイコロジーでは、前回の記事のように「人間の意識は6つのフィルターでできている」と考えていますが、
このシュタイナーの「気質」はその中の「遺伝的影響のフィルター」と近い概念、もしくは「遺伝」と「エニアグラム」を両方含んだような概念なのかなと思っています。
そして、シュタイナーは「マクロコスモスへ参入する」にはこの「気質」を「自己認識」し、そこから自由になることが重要だと言っています。
自分の気質から自由になるのは、非常に困難なことなのです。自分自身と客観的に向きあうことができるようになるには、徹底した自己教育が必要です。真の神智学者は、必ず次のように語ります。
魂が成熟しているかどうかは、理論的にではなく、実際に霊界に参入することができるかどうかにかかっている、と考えるのは正しくない。もはや自分の意見を持とうとしない人だけが、真理に至ることができるのだ。このことに気づいていない人は、魂が成熟しているとは言えない。自分の意見については、次のように言えなければならない。
「私は一度、自分の意見をこころの前に置き、人生のどの時期に私がこの意見を持つように促されたのか、振り返ってみよう」
誰かが特定の政治的傾向を持っていたとしましょう。もしもその人が霊界に参入しようと望むなら、あらかじめその前に、私の人生がどのようにして、こういう立場をとるように私に促したのか、という問いの前に客観的に立つことができなければならないのです。
前回の記事で、イデアサイコロジーでは「変換人になるためには、6つのフィルターの内容を意識化し、コントロール可能なものにすることが必要」だと考えているとお話ししましたが、このシュタイナーの話はまさにそのことを言っているように思います。
「6つのフィルターの内容を意識化し、コントロール可能なものにする」ということは、具体的には、シュタイナーの言うように「自分の考えや感情、行動がどのフィルターのどのような経験や思い込み、信念、欲求・不安や衝動などから来るのか」を詳細に「客観的に」見ていく作業だからです。
私が行なっている個人セッションでも、以上のような姿勢で「お客さまの人生がどのようにして、そういう立場をとるようにお客さまに促したのか、という問いの前に客観的に立つこと」と、
そのことによって、6つのフィルター(正確には「3次元的空間認識のフィルター」を除いた5つのフィルターですが)から自由になることを目指しているんですね。
2つ目の引用文で、シュタイナーは「自分の意見を持とうとしない人だけが真理に至ることができる」とも言っていますが、これには「え?自分の意見を持つって大事なことじゃないの?」と疑問を感じる方も多いと思います。
これはストレートに「自分の意見や考えを持ってはいけない」という意味ではなく、「フィルターの影響によってある意見や考え、感情を持ち、それに固執することがよくない」という意味だとイデアサイコロジーでは考えています。
つまり、結局、フィルターの内容を細かく把握し、それに影響されずに逆に自分がコントロールできる状態になること(=フィルターから自由になること)が重要だということを言っているのではないかと思うんですね。
また、先ほど、シュタイナーの「気質」概念は「遺伝的影響のフィルターに近いのかもしれない」としましたが、このシュタイナーの記述を読みますと、やはり遺伝的影響だけに限らないのではないかと思われます。
それは、シュタイナーが例えで出している「政治的傾向」などは特に、遺伝的影響もありますが、乳幼児期・児童期の経験の影響(主に親子関係)が非常に大きいものだとイデアサイコロジーでは考えていますし、エニアグラムの影響も少なからずあると考えられるからです。
ですから、シュタイナーの「マクロコスモスへの参入に必要な気質の自己認識と自己教育」というのは、イデアサイコロジーでいう「変換人になるために必要な6つのフィルターの意識化とコントロール」とほぼ同じことを言っているのではないかと感じます。
シュタイナーの「目覚め」観はヌーソロジー・イデアサイコロジーと非常に近い
ということで…今回、meegleさんに教えていただいた『照応する宇宙』のシュタイナーの話を読んで、改めてシュタイナーの「目覚め」観は、ヌーソロジー・イデアサイコロジーと非常に近いんだとびっくりした次第です。
meegleさんはシュタイナーを探求されていて、そこからヌーソロジーとイデアサイコロジーとの共通性を見出して関心を持っていただいたという経緯がある方なので、
この『照応する宇宙』を見つけ出してくださったのも、meegleさんならではの視点だなとありがたく思っています😊
「シュタイナーは話が抽象的で分かりにくい…」と感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、ヌーソロジー・イデアサイコロジーの視点を持ちながら再度読んでみるとまた新しい発見があるかもしれません✨
シュタイナーに興味を持たれた方は、meegleさんのYouTubeもご覧になってみてくださいね。