こんにちは、末富晶です。小学校3年生から学校に行かずに育った元不登校児で、現在は生け花を教えたり文章を書いたりして暮らしています。
不登校児だったことは最近でこそ色々なところで語ることが多く、本にまでしていただいたくらい私にとって重要な過去となっているのですが、実はほんの何年か前まではその当時のことを思い出すことはほとんどありませんでした。
二十代頃の私の生活の中では、もはや学校に行っていなかった過去のことは通り過ぎた昔の出来事となっていて、特に意識にのぼってくることがなかったのですね。
本を書かせていただいたことも一つの大きなきっかけとなり、改めて不登校児として過ごした期間のことを思い返してみると、けれど今の自分がこうしてあるのも、まったくあの時期のおかげだという気がしてなりませんでした。
多くの方はきっと不登校という言葉にそういい印象は持っておられないと思うし、私も正直言って好きな言葉の響きとは言えないのですが。その不登校をして一番よかったことを一つあげるとするならば、それは不登校によって半強制的に自分と向き合う時間を持たされたことだろうと今では思います。
「自分と向き合う」とか「自分の本質とつながる」ということはよくイデアサイコロジーの中でも重要なテーマとして扱われますが、つまりはそのための時間を、私は不登校児として暮らした過去の中に特に多く見出してきたような気がするのです。
もちろん後々から考えてみればという話で、その当時はそんなことは思いもせず、その時をただ夢中に生きていたのですが。
不登校ということは、みなさんご存じのように学校に行かないということで。
子どもにとって、おそらく唯一と言っていいほど大きな、学校という「社会に入るための準備の場」とつながっていない状態になることです。
社会につながらない選択は社会の中では認められておらず、この世界に暮らしていくには社会と密接にかかわって生きていくことはほとんど必須なので、小さなころから歩んでいくはずのその社会へ入る正式なルートから外れてしまうことは大きな挫折と捉えられ、当時の私にとってその状況にあることはそれはそれは大きな負担でした。
その正式ルートからこぼれ落ちた先で、けれどだからこそ自分自身や世界とつながる時間を持つことができた。それこそが私にとって、何より幸福なことだったと思います。
不登校児となる兆候のように、幼稚園児の頃にはすでに園に行きたくなくて毎朝泣いていたような子どもだったのですが、そんな私に周りの大人はよく「幼稚園に行くのは、小学校に行くための練習なんだよ」と言って諭してくれたものでした。
幼稚園に行くのは、やがて小学校に行くため。
小学校に行くのは、やがて中学校や高校や大学に行くため。
中学校や高校や大学に行くのは、やがて社会に入るため。
そうして社会に入って、その中で自分にとっての幸せを見つけること。
例外はあれど、大多数の人にとってはそれが目指すべきゴールで、それが人生というものなのだと。
その序盤の小学生の段階で、すでについて行けず一人道端に取り残されたような状態になった私は、伝え聞いていた幸せな未来へ向かうルートから遠く引き離されてしまったように感じて、先に行ってしまった人たちの背中を最初は必死で追いかけようとしていたけれど。
ある日、いくらもがいても泥に足をとられて進めないような状態に陥り、疲れてその場に座り込んだまま立ち上がれずにいた時。
どうすればいいか分からずただ心を悩ませていたその時に、けれどそんな状態にあってもそれまでと変わることなく、頭上には青い空、足元には地面、そして、自分の心と身体がそこにあることを見つけたのです。
当たり前のこと、と思われるかもしれません。
けれどもそれは、当時の私にとっては、胸が震えるほどの実感をもって心の奥底から響いてきた一つの真実でした。
たとえ社会につながれずにとり残され、評価の何もかもを失っても、自分自身までは失われない。
社会の外にあっても、自分という存在は何ら変わらず、生きているのだと。
想像と現実の間に大きな違いが生まれることはよくあるけれど、それからの日々は、私の中でそれまで「こういうものだ」と教えられてきた「人生」のイメージが次々と塗り替えられていく体験の連続でもありました。
今では私は、この時に見つけた「社会の外にあってもそばにあり続けたもの」が、つながるべき本質というものなのではないかと思っています。
「不登校でも大丈夫」というのは書かせていただいた本の題名なのですが。
もし、イデアサイコロジーの表現をお借りしてこの題名の前に説明を付け加えるとするなら、より正しくは
「自分の本質とつながることさえできれば、不登校でも大丈夫」
ということになるでしょう。
それはおそらく絶対条件で、あの時の私がもし立ち止まることなく、ただただ先に行った人々の背中を追い続けていたとしたら、きっと全く違った未来になったことだろうと感じています。
本当に大事なことは、わけのわからなくなっている状態の自分をそれでも急き立ててできるだけ早く元のルートに戻ろうとすることではなくて、たとえ社会の外にいても命の価値は何ら変わらないことを知って、どれだけ時間がかかっても自分の本質とつながる道を諦めずに進むこと。
それこそがやがて社会のために役立てることができる、本当の自分の力となるものなのだと思います。
「社会」は子どもの頃に考えていたほど強固な形を持つものではなくて、その状態も常識もそこで求められるものも、思っていたよりずっと早いスピードで変化していくもののようです。
その変化の世界が海だとしたら、そこを渡る自分の船は、ただひたすら流されるのみか、あるいは行き先をしめす星の方向を見定めて自ら櫂を持って進むかの、二つに一つ。
どちらも波に揺らぐことは同じでも、そこにはきっと、大きな違いが出てくることでしょう。
社会の外でも失われないものは、結局のところ、社会の中で生きていくために大切なものでもある。
私たちがどんな状況にあってもいつもそれと共にあるという事実は、激変の最中にある今の社会の中で、一つの大きな希望と呼べるかもしれません。
いついかなる時にもそばにあり続けるもの。
そこにこそ、その人にとっての唯一無二の種は眠っている。
私の場合はたまたま不登校という体験がそのきっかけを与えてくれましたが、たとえ不登校をしていなかったとしても、いつかは必要な気づきだったと思います。