こんにちは、元臨床心理士の春井星乃です。
現在は、心理学・精神分析・エニアグラムを通して性格構造を明らかにする「イデアサイコロジー」を提唱しています。
先月、個人的にとても驚いたニュースがありました。
「埼玉県で犯罪心理学・臨床心理学の准教授が妻を殺害」という事件です。ご存知の方もいらしゃいますよね。
<県庁前で妻殺害>逮捕夫は人気の准教授、教え子ら衝撃…ニュース疑う 犯罪心理学が専門「信じられない」
SNSでは、臨床心理士だったという話も見かけました。
まさに「ミイラ取りがミイラになった」という事件なんですが、そこで私はやはりいくら知識をため込んでも「知識と実際の人間性というのは違う」ということを証明する実例だなと感じました。
そして、その人の本質というのは、仕事やSNSの内容などの表面的な特徴を見ていても分からないということなんだなと思ったんです。
この事件を見ても分かるように、私は「その人の本質というのは最も身近な人物との関係の中にある」と言えるのではないかと思っています。
自分を分析するときって、どうしても自分の安定を維持しようとするので都合のいいように解釈しがちで、正しく分析することは難しい人が多いです。
でも、本当は、自分の目の前を見れば「ほんとうの自分」がいると言えるんじゃないかと、私は思っています。
この記事では、「ほんとうの自分」の意識状態を知るにはどこを見ればいいのかということについて考えてみたいと思います。
恋愛・夫婦関係と自己理解&他者理解
子供との関係
友人・仲間との関係
好きな有名人
「ほんとうの自分」は自己と他者の間にいる
「ジョハリの窓」
埼玉の事件の准教授は、学生からの評判もよく温厚で物静かな性格だったということなんですが、私がこの事件を聞いてまず思い浮かんだのは、心理学の「ジョハリの窓」という概念です。
この「ジョハリの窓」では、人間の自己の領域は「自分と他人が知っているか知らないか」で上記の4つに分けられると考えます。
例えば、この准教授の「学生の評判がいい」「温厚で物静か」という特性は、自分も他人も知っている「開放の窓」に属する特性と言えますよね。
ですが、記事からは分かりませんが、妻を殺害することができてしまう何らかの特性が他の3つの窓のどこかにあったわけです。
彼は心の知識を非常に多く持っていたのに、実際には自分の心をコントロールすることができなかったんですね。
ただ知識を貯めることと、実際に自分の心をコントロールすることは全く別のことであるということが分かります。
そして、仕事などの表面的な付き合いの中で表れる特性だけを見ても、「ほんとうの自分」はいないということも分かりますね。
このケースのように、通常「仕事やSNSで見せる自分」は「開放の窓」の領域に属し、そこでは、その他の3つの領域の特性をないもののようにして振る舞うことができますし、自分も周囲もそう理解してしまいがちですよね。
仕事やSNS上の浅い付き合いでは、それで問題なく物事が進むことが多いでしょう。
しかし、恋愛や夫婦関係、子育てでは、他の3つの領域の特性がどうしても表れてしまいます。
ですから、私は、その人の本質は、恋愛の相手、夫or妻、子供など最も身近な関係性の中に表れると考えています。
恋愛・夫婦関係と自己理解&他者理解
では、まず恋愛・夫婦関係にはどのように「ほんとうの自分」が表れるのでしょうか。
これを見るときの大きなポイントは2つあります。
一つは、お互いの信頼度がどのくらいか。2つ目は、自分と相手がどの程度自分を理解しているか、です。
私は、ある人との関係を見るときには、お互いに、自分も相手も知っている「開放の窓」の領域が広いほど、信頼関係が生まれると考えています。
別の言い方をすれば、「自分が思っている自分イメージ」と「相手が思っている自分イメージ」、「自分が思っている相手イメージ」と「相手が思っている相手イメージ」が一致することが重要な要素となると思います。
図にすると、こんな感じです。
つきあいが浅いうちは一致しないことが大半だと思いますが、長く付き合ってからもここに隔たりがあると、深い信頼関係を築くのは難しくなりますよね。
ですから、これがどの程度一致しているかというのが、信頼関係を図る基準となります。
そして、信頼関係が築けているということは、自己理解&他者理解がある程度できているということになります。
なぜなら、自己理解&他者理解がある程度できていないと、まず、上図の「自分が見た自分イメージ」「自分が見た相手イメージ」「相手が見た相手イメージ」「相手が見た自分イメージ」を一致させることができないからです。
そして、自己理解ができていないと自分の感情のコントロールが不可能になり、他者理解ができていないと相手の気持ちに共感することもできないので、どうしても無意識に相手を嫌な気分にさせるような言動をすることになります。
すると、当然信頼関係を築くことはできないですよね。
そして、もう一つは、自分と相手の自己理解度です。
今お話したように、信頼関係が築けていればある程度自己理解&他者理解ができているといえるのですが、実はそれだけでは完全に自己理解&他者理解ができているというわけではないんです。
自分の自己理解度&他者理解度が高くなくても、信頼関係を築ける場合があります。
それは、相手の自己理解度&他者理解度も同程度の場合です。
人間は、自分を理解している程度にしか他者も理解できないというシステムを持っているので、自己理解度は他者理解度に比例します。
例えば、自己理解度が8割のCさんが4割のDさんを見ると、Dさんの8割の意識の範囲が見えてしまいます。
でも、Dさんは自分の4割を自分のすべてと感じているし、Cさんのことを半分しか理解できないので、CさんとDさんそれぞれの「自己イメージ」と「相手イメージ」が一致しなくなります。
すると当然、信頼関係は築けません。
でも、他に自己理解度が同じ4割のEさんがいたとします。Eさんには、Dさんの4割がすべてと感じられるので、お互い自己他者イメージが一致し、信頼関係を築くことができます。
つまり、人間は、同じ位の自己理解度の人としかある程度以上の信頼関係は築けないと私は思っています。
結婚してからあまりに差が大きいことが分かった場合は離婚につながるでしょうし、自己理解度に差があったとしても、長く接する間にお互いの歩み寄りと努力によって差が縮まることもあります。
ですから、なおさら長期間一緒に過ごした夫婦の場合、どんなに普段喧嘩ばかりしている関係だったとしても、実は結局似た者同士だったりすることが多いです。
つまり、恋愛・結婚相手の意識状態や自分との関係性の中に、「ほんとうの私」が表れていると私は考えています。
子供との関係
さて、次に子供との関係です。
「ほんとうの自分」が表れる場所として、もっとも怖いのが子供です。
なぜかと言うと、夫婦関係以上に、自分の気づいていないさらに深い無意識の特性が影響してしまうからです。
子供は、親がそれまで見てこなかった無意識の部分を見事に表現してくるので、本当に驚きます。
よく「成人したら子供自身の責任」といいますが、そのような部分も一部はありますが、私はやはり、特に「乳幼児期・児童期の親の影響」は成人しても人生を左右するほど影響が大きいと感じます。
ですから、自分の子供がどのように育っているか、そして子供との関係はどうなっているのかを見れば、自分がどれくらい自己理解して、感情をコントロールできているかが分かります。
友人・仲間との関係
また、自分が好んで定期的に連絡を取る友人や仲間がどのような人たちなのか、そしてどの程度の信頼関係を持っているのかにも、「ほんとうの自分」が表れます。
中には、自分が好きでも相手はそれほどでもないと言う場合や、単なる表面上のつきあいという場合もあるでしょう。
でも、お互いに好感・信頼感を持ち積極的に連絡を取り合う親しい友人は、やはり自分と同程度の自己理解度の人が多いですね。
好きな有名人
そして、好きな有名人にも「ほんとうの自分」が表れます。自分が好きな有名人を複数あげてみて、その共通点を探ると「ほんとうの自分」が見えてくるかもしれません。
心理テストのようですが、人間の無意識って本当に優秀で、感覚で好きと思う人はどこかに自分と同じものを持っている可能性があります。
「ほんとうの自分」は自己と他者の間にいる
「類は友を呼ぶ」とよく言われますが、もしかしたら「類友」とはこういうことなのかもしれません。
このような意味で、目の前の最も親しい人間関係を見れば「ほんとうの私」が見えると言えるんじゃないかと私は考えています。
どんなに知識をためて、SNSで素晴らしいことを言って、社会的に成功していたとしても、それだけではその人の「ほんとうの自分」は見えません。
「ほんとうの自分」を知りたいならば、実際のプライベートの生活でどんな人とどんな関係を築いているかを見なければならないと私は思っています。
「ほんとうの自分」は、自己と他者の間にいるのです。