エニアグラムタイプと意識の発達段階


では、「意識の成長と退行」の記事でお話した、「精神的に望ましい状態」に近づくにはどうしたらよいのでしょう。

イデアサイコロジーでは、ここにエニアグラムが大きく関係してくると考えています。

「イデアサイコロジーにおける精神的に望ましい状態」は、「意識の成長と退行」の記事でお話した「自我同一性達成」と近い概念となっています。イデアサイコロジーでは、この「自我同一性達成」の状態になるために必要な「傾倒」の内容は、エニアグラムタイプからもたらされると考えます。

つまり、エニアグラムタイプの意識化が非常に重要になってくるのです。

しかし、「性格を作る3つの要素」でもお話したように、現状ではエニアグラムタイプの判定は非常に難しいものとなっています。その根本的な原因の1つは、研究者によって理論的な相違があることです。

イデアサイコロジーでは、エニアグラムタイプ判定を正確に行い、現実生活を改善するレベルまで持っていくには、まず理論的な背景を理解することが重要だと考えています。

そこで、ここでは、イデアサイコロジーの「エニアグラムタイプ形成」に関する考え方をお伝えしたいと思います。


「エニアグラムの捉え方の違い」


「性格を作る3つの要素」でも少しお話しましたが、まず、エニアグラムタイプをどのようなものと考えるかという問題について、2つの考え方があります。

1つは、日本のエニアグラム界の第1人者鈴木秀子さんに代表される「生まれつき決まっている」とする考え方。2つ目は、アメリカの代表的なエニアグラム研究者ドン・リチャード・リソの「乳幼児期の親子関係で決まる」とする考え方です。

イデアサイコロジーでは「乳幼児期の親子関係で決まる」という立場を取っていて、フロイトの発達段階理論を使って、エニアグラムタイプの成り立ちを説明しています。

フロイトは、乳幼児期の発達を3つの段階に分けて説明します。0歳から1歳半は口唇期、1歳半から3歳が肛門期、4歳から6歳が男根期と呼ばれています。イデアサイコロジーは、この3つの段階のうち1つの段階の認知様式を大人になっても持ち越すことで、エニアグラムタイプが形成されると考えます。

リソもフロイトの発達段階にエニアグラムを当てはめて説明していますが、イデアサイコロジーと大きく異なるのは、この3つの段階の特徴の捉え方とタイプの当てはめ、同じ段階内でさらに分類されるときの3つの条件、心の病気との対応です。そして、そこから各タイプの特徴の捉え方にも違いが出てきます。

リソは、次のようにフロイトの3段階にエニアグラムタイプを当てはめます(ドン・リチャード・リソ『性格のタイプ』(1992)より)。

 排除(愛憎半ば) 受容(肯定的) 保持(否定的)
男根期(母親)タイプ8タイプ3タイプ7
肛門期(父親)タイプ2タイプ6タイプ1
口唇期(両親)タイプ5タイプ9タイプ4

リソは、口唇期のタイプは両親、肛門期タイプは父親、男根期タイプは母親に意識が向かうとしています。そして、その中で、親に対する態度が愛憎半ばか、肯定的、否定的かでエニアグラムタイプが決まると考えます。

それに対して、イデアサイコロジーでは、まず最も大きな違いとして、肛門期と男根期の当てはめが逆になります。

欲求不満 満足 不安
男根期(善悪の概念)タイプ2タイプ6タイプ1
肛門期(身体)タイプ8タイプ3タイプ7
口唇期(自分と自分以外)タイプ5タイプ9タイプ4

フロイトは、「肛門期性格は頑固・几帳面・けちで強迫性障害と関係している」としています。これは、エニアグラムタイプでいうと、タイプ1と関連している概念です。したがって、リソは肛門期をタイプ1を含む126に関連付けたと思われます。

一方、イデアサイコロジーでは、言葉の発達と「超自我」に注目して男根期のタイプを当てはめています。イデアサイコロジーでは、タイプ126を「善悪の概念」を元に作られていると考えます。「善悪の概念」は言葉が発達しなければ芽生えることはあり得ず、フロイトも「〜すべき」という自分を上から縛るような心の働きを「超自我」と名付け、それは言葉の発達する男根期に生じるとしています。

イデアサイコロジーでは、肛門期までは視覚的なイメージの世界であり、言葉が発達する男根期からはじめて概念の世界が生じると考えますので、タイプ126は男根期で形成されるとします。


イデアサイコロジーにおける意識発達の考え方


そして、リソとの大きな違いの2つ目は、3つの段階の特徴の捉え方です。イデアサイコロジーでは、乳幼児期の意識発達を自己と他者・世界の認知様式によって捉えます。

口唇期は、「自分と自分じゃないもの」の世界です。このときの「自分」は身体ではなく、快不快や感覚の総合のような抽象的であいまいなものです。そして、「自分じゃないもの」も「母親」や「おもちゃ」などが分かっているわけではなく、「自分の快不快にとって重要な何か」という認識になります。

このような世界では、自分が自分じゃないものと一体化したいという欲求が根本的な欲求となります。

次に肛門期になると、自分は「身体」と認識されるようになります。そして、母親や父親、兄弟なども「身体」として認識されます。肛門期では、このような「身体対身体」の世界で、自分が注目され、中心的な立場でありたいという欲求が根本的な欲求となります。

そして男根期では、言葉が発達して心という概念が生じ、子供は「心」に同一化しはじめます。ここでは、「善悪の概念」が芽生え、「自分がよい子と認められたい」ということが根本的な欲求となってきます。

イデアサイコロジーでは、この各段階の根本的欲求が、満たされたのか、欲求不満だったのか、それともそれが満たされない不安が大きかったのかで、エニアグラムタイプが決定されると考えています。

乳幼児期の親子関係で、その子供にとって最も重要な経験がどのようなものだったかによって、その後の認知様式を形成する自己イメージ・他者イメージが作られるということです。

このような考え方の違いから、リソのエニアグラムとイデアサイコロジーでは、具体的な各タイプの特徴の捉え方や心の病気との対応も異なってきます。


自我同一性とエニアグラムタイプ


男根期が終わると、6歳から12歳ころまでの潜在期と呼ばれる時期に入ります。

フロイトによると、潜在期では、リビドーという「衝動や欲求・本能」のエネルギーが潜在化して表に出てこなくなります。この時期はちょうど小学生の児童期ですが、子供はここで社会的規範を学び、コミュニケーションスキル、認知的能力を発達させることになります。つまり、内的なものよりも、外的なものを学ぶ時期ということです。

面白いことに、エニアグラムタイプも潜在期には鳴りを潜め、多くの場合影響が表に出てきません(稀に小学生からエニアグラムタイプの影響がある子供もいます)。

フロイトによると、その次の13〜14歳前後の性器期になると今度はリビドーが活動を始めます。これと同時に、エニアグラムタイプも影響が出始めます。エニアグラムの影響は、欲求・不安や感情としてまず個人に感じられるものなので、フロイトのリビドーと関連していると思われます。

この時期は、自我同一性を確立する課題と向き合う時期ですが、ここで、エニアグラムタイプの影響を意識化できると、本当の自分の動機や興味、本質とつながることができ、しっかりとした「自我同一性」を確立することができるのです。

乳幼児期のエニアグラムタイプ形成や心の病気との関連の具体的な例としては、『奥行きの子供たち』第2章抜粋記事「境界例と『エヴァンゲリオン』―庵野監督の心の世界」に詳しく書いてありますので、ぜひ見てみてくださいね。